森田療法の言葉

以下は森田療法でよく使われる言葉(キーワード)を、まとめたものです。

あるがまま 症状についても、行動についてもあるがままを使う。症状はそのままに、生の欲望(人生を向上させたいという向上心)に従って、事実をもとに行動していくこと。
かくあるべし 事実に基づかず、頭の中で作りあげた観念をいう。
かくあるべしという猶お虚偽たり、あるがままにある即ち真実なり かくあるべしという観念は、あくまで虚構であり、事実ではない。虚構をもとに行動しても間違うばかりである。あるがままの心の自然に逆らわず、事実をもとに行動していけば、間違うことはなく、真実の道を行くこととなる。
自然に服従し、環境に従順なれ 心の自然・事実を認め、それに従い、まずは今の環境の中で努力していくことが大切でである。環境のせいにして嘆いていてばかりいても、はじまらない。
不安常住 不安は気が付けば、いつも心の中にあるものである。人には必要な感情なので、常に同居している。排除する必要は全くないし、排除は不可能。
不安は安心のための用心なり 不安を感じる時は、精神的、肉体的危機がある場合であり、人が用心するようにする仕組みである。不安があるから人は用心し、安心できるのである。
不安に学ぶ 不安という感情には意味があり、何の不安かよく理解し、自覚すること。これによって危機を回避し成長できる。
努力即幸福 人生は永遠の努力である。永遠の成長である。結果に支配されない。行動の過程に幸福があるのであって、結果にのみにあるのではない。
花は紅、柳は緑 花を緑に、柳を紅にすることはできない。不安はそのまま不安であり、恐怖はそのまま恐怖である。不安や恐怖を喜びや、楽しさに変えることはできないし、その必要もない。
生の欲望 よりよく生きたいという欲求、向上心をいう。
死の恐怖 本来の誰もがもつ死の恐怖をいう場合と、症状全般の代表としていう場合がある。
欲望と恐怖の調和 欲望が強ければ強いほど、不安・恐怖も強い。この両者のバランスをとること。
気分本位 自分の気分を中心に物事を判断する態度。目的を達成したが、その時に不快な気分がしたとか、症状が出たからダメだと判断する態度。
目的本位 行動の目的が達成できたかどうかで、物事を判断する態度。目的を達成した時に、どのような気分になろうと、症状が出ようと、事実として達成したのであれば、よしとする態度。
事実唯真(事実本位) 観念ではなく、現実の中にある事実に重点をおき、そこから出発して行動すること。
心は万境に従って転ず、転ずるところよく幽なり 自然にまかせたならば、人の心(感情)というのは、様々な行動をすることで、川の流れのようにどんどんと流れていき、その流れていくところが、非常にその場に適切であるということ。
恐怖突入 症状を理由に逃げていた場面に、必要であるなら逃げずに参加していくこと。
物の性を尽くす 人でも、木でも、物でも、その持っている性能を十分に発揮することをいう。こうすることが、一番自然の摂理にかない、人の場合は人生の向上へとつながる。
思想の矛盾 こうあるべきという観念と、こうある実際の事実が異なり、葛藤すること。本来、頭で考えた観念と現実は違って当り前であるが、それを知らず、不可能な努力を重ねる。精神交互作用へとつながる、症状の一因。
精神交互作用 とらわれを強化し症状へと発展する過程をいう。本来は誰もがあるような感情を、異常ととらえ、それをなくそうと無理な努力を重ねて、さらに症状を重くすることになる。
繋驢桔(けろけつ) 杭にロープでつながれたロバが、逃げようとグルグル走り回るうちに、かえって杭に近づいていくことを例えとして、症状から逃れようとあがけば、あがくほど、症状がさらに大きくなっていくことをいう。
はからい 症状をなくそうと、あるいはその場面で出ないようにと、あれこれと考えをめぐらし、頭の中でやりくりすることをいう。かえって症状強化につながる。
両面観 物事には、基本的に両面があり、その一面のみを見て判断すると、判断を誤るように、不安の裏側には欲望(欲求・向上心)があるという、事実の両面を見ることをいう。
感情は自然現象 自分の感情は、自分の思いようでなんとでもなると、思われがちだが、事実として感情は自然現象の一部であり、自分の意志で変えられないものである。ただし行動によって影響を与えることはできる。心は心の勝手たるべしと同義。
感情と行動は別 症状(不快な感情)があると行動ができないと思いこみがちであるが、実際には症状があっても、必要な行動はできる。症状がなくなったら行動しようでは、いつまでも行動できない。
外相整いて、内相自ずから熟す 症状はとりあえず置いておいて、学生なら学校へ行く、社会人なら仕事に行く、主婦なら家事をするなどの必要な行動をとっていけば、いずれ症状から解放されることをいう。まず外側を整えていけば、内側の心もこれに伴っていくのである。
迷いの中の是非は是非とも非なり 症状という色眼鏡をかけて、物事の是非を判断しても、それはどちらも正しい判断とはならないことをいう。神経症的な物の見方のことであり、この見方は歪んでおり、どう判断しても正しくはならない。
自覚 自分のことについて、客観的に判断することをいう。自分はあまり賢くはないから、一生懸命勉強をするとか、自分は自己中心的であるから、人のために役立つことをするとかなどである。
物そのものになりきる 自分が働きかける対象そのものになって、行動することをいう。花に水やりをする場合、何時頃やるのがいいか、今日は雨が降ったからやらない方がいいとか、物そのものになれば適切な行動がとれる。またそこには観念や、感情の入り込む余地はない。
純なる心 対象について、自分の観念、考え、感情が起こる前に、感じる心をいう。直観的な心で、これに従って行動すれば、適宜、その場その場に、臨機応変に対応できる。
日に新たなり、日々に新たなり 毎日が同じようなことの繰り返しに見えても、実際には今日の、この今の瞬間というのは、二度とないものであり、常に新しい今が訪れている。症状が治った後に、実感することが多い。
日々是好日 気分本位で症状中心に生活していたときは、日々は地獄である。しかし症状のからくりを知り、目的本位で行動するようになり、症状を目の敵にしなくなると、日々がいろいろありながらも、よい日であると感じる。症状が治った後に、実感することが多い。
前を謀らず、後ろを慮らず(まえをはからず、うしろをおもんぱからず) 未来のことをあれこれと、取り越し苦労せず、過去のことを、いつまでも引きずらず、ただこの今、目の前にあることをやっていけばよい。森田療法では、未来のことや、過去のことより、今目の前にある現実を重視することを表している。
休息は仕事の中止にあらず、仕事の転換にあり 休息は仕事の中断ではなく、仕事の性質を変えることによって取ることができる。例えば事務的な仕事をした後に、体を動かす仕事をするなどである。
無所住心 心に一定の住み家がないということで、注意が一点に集中するのではなく、周囲の事象に対し、あまねくいきわたっている状態をいう。


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